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2023-09-12

「木っぱ・たなごころ・哲学対話」を終えて/作らないWS-1

こんにちは、majakka (マヤッカ) です。

先日、開催しました「作らないワークショップ」の模様をレポートします。
以前から興味のあった「哲学対話」。
実際にやってみるとどんなものなんだろう?

ワクワクと小さな不安な気持ちも織り交ぜながら、
具体的な方法の書かれた書籍(「考えるとはどういうことか」※1 )を参考に、試行錯誤で進めていきました。

まず、アイスブレイクとなる自己紹介。
「ああ…どうだったかなあ?」と想いを巡らせながら、「考える」の柔軟体操。

つづいて、場を工房に移し、「今日のお供」となる木っぱ選び。
木っぱに触れ、やすりがけをします。

そんな時間を重ねていくと、自然と打ちとけたムードが生まれ、
はじめましての人とも、ゆるやかに距離を縮めながら、
スムーズに「対話」の時間へとつながっていきました。

哲学対話のカナメとなるものは「問い」。
問いを立てることが、考えを深めるキッカケともなるので、
まず、参加者さん皆で、今日はどんな「問い」で対話を進めていくかを決めます。

今回「ぼくたちの哲学教室 (※2)」という映画を観て立ち上げた企画だったので、
それをテーマにしても良いのですが、
全員が観てるわけではなかったので、そこからは離れ、もっと自由に、
好きなことを考えよう。ということに。

ひとり、1つ、あるいは数点の問いを出し、
テーブルに並べ「ふ~ん、こういうのが出たのかー」と眺めてから、
一束に重ね、その中から1枚、無作為に引いてもらったものを
今日考える「問い」に。

そこで、出た問いは「正義とは何か?」
普遍的でありながら、これは難しい…かも…と感じました。

テーブルから移動し、今度は参加者さん皆の顔が見えるよう、
ぐるっと円を描いて座るソファースペースへ。
会議や講演とは違う、対話ムードのかたちです。

まず、問いを出してくださった方に
「なぜ、この問いを出したのか?」を教えてもらい、対話スタート。

哲学対話の面白い点は、ルールがあること。
8つあるのですが、縛られる感覚というより、
むしろ自由に話せる空気を作ってくれる
魔法のルールだとわたしは感じました。

会議や解決をもとめる話し合いとは違い、
正しい答えを導いたり、相手を説き伏せるわけでもない。
先を急がず、相手の話にじっくり耳を傾ける。
音・声を味わって愉しむ。
そんな感覚になることもありました。

そして、リリリ♪
というタイマーの音で、対話の時間はプツっと切れます。
あれ?もう?
そんな物足りなさもあるけれど、
集中して「聴いて・考えて・話した」心地好い疲労感から、
フワッと解放された瞬間でもありました。

いつもの会話、家族や友人や仕事場で交わす「話し」とは何か一味違う、
感触のようなものが残るひと時だったようにも思います。

いつもだったら考えることのないテーマを、皆で考える。
今回は、「正義」について。
難しいと感じたスタート。
でも、ゴールとなる出口は違ったこと。
それが印象深く、清々しくもありました。

きっと、みんな一人ひとりの出口に向かっていったんだろうな。
そう想像すると、ワクワクします。


本来の哲学対話ではコミュニティボール(※3) を使うのですが、
majakkaでは「木っぱ」を使いました。

心を落ち着けるため、でも良いし、なんとなく触ってる、磨いてるでも良い。
手中におさまっている人もいれば、磨いてる人もいる、
フッと、自分のそばに置いておく人も。

『木っぱを磨いてるうちに、ささくれだったものが、丸くなってくる。
人と対話をするってことも、それなんじゃないかな。』

参加者さんからそんな言葉がフワッと生まれ、
majakkaで用意した木っぱと「対話」の時間がまさにシンクロする、
かけ合わさった瞬間を感じながら、
1回目の作らないワークショップ・哲学対話は幕を下ろしました。

majakkaだからこその観点とでもいうのでしょうか、
哲学対話をキッカケに「考える」ことが暮らしに活きたら。
そんな想いで、この場をひらきました。

参加者さんのアンケートには…
「日々の生活でこういう対話の時間を意識的に作れたら」
等々、これからの日々に結び付けてくださる言葉が寄せられ、
企画した者としては本当に嬉しい限り。

また、次回も、
majakkaの空気・場を活かした時間を作れたらなあと思っています。

ご参加してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
イベントのアイデアを投げかけ、場を引っ張ってくださった方、
参考となる書籍を紹介してくださった方、
そして、あの時間を共に作った皆さまに感謝!

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