こんにちは、majakka(マヤッカ)です。
先日、『暮らしの手帖』の初代編集長、花森さんの展示をみにいってきました。
以前、書店でたまたま手にした花森さんの装画集の
線の繊細さ、鮮やかな色づかい、味のある手描き文字に心惹かれていて、
原画をみることが出来るのであれば、喜んで!
ということで、出かけてきました。
勝手な想像で、暮らしがテーマの雑誌だから、
きっと、内容も優しくて、あったかいイメージなのかな?
と、展示をみるまでは思っていました。
(現在、発行されている暮らしの手帖も、
昔のものも、じつは読んだことがないんです…)
創刊からの表紙がモザイクタイルのように美しく並んでいる様子は
想像していた通り心躍るものでした。
歩を進めていくと、当時の誌面のコピーや内容をみることが出来ます。
そこで、衝撃だったのが、
実際に実験・検証してみる。
石油ストーブから火が出たらどうするか?
勝手に想像してたホワホワの「暮らし感」とぜんぜん違う!
実際に火のついたストーブを倒し(!!!)
燃え盛る炎を前に、どう対処するか?
検証を重ねる記事が目に飛び込んできました。
なにそれ、命がけやん!!
そんな、命がけの企画立ててたの?この雑誌って!
この企画は、いまでいう、新しい電化製品、便利グッズ等の
いろいろなメーカーの使いくらべ評価コーナー。
実際に製品を使うのはもちろん、
それを越えた危険行為をあえて行うのには理由があって、
いまでこそ、日本製といえば高品質。
だけど、当時(戦後初期)は、本当に粗悪品ばかりだったそう。
なんで、こんなにすぐ壊れるんだ!
こんな物を、消費者に売りつけるな!
と、まさに生産者に対しての怒りの企画でもあり、
この企画があって、いまの当たり前な高品質な日本製がある。
といっても過言ではないほど、真剣で必死な企画を立てていたことに、
ひれ伏すばかりです。
暮らしの手帖が、そして、花森さんが、
どれだけ、市井の人々を想い、
生活者の暮らしをゆたかなものにするか。
本当に真剣に考えていたことを、
この「商品テスト」という企画から知ることが出来ました。
暮らしの手帖の創刊は終戦直後で、
本当に物が無く、貧しい状況でした。
でも、無いからといって悲嘆にくれてばかりいないで
工夫しよう!
服が無いなら、着物をといて、ワンピースを作ろう!
どう作るか、その方法を花森さんは自分の手を動かして考え、
その知恵とアイデアを読者に発信します。
いままでの家事のありかたにも着目します。
重労働な家事を解き放つために、
たとえば、しゃがみ姿勢ではなく、立ち姿勢で作業が出来るよう
「こんな台を作ろう!」という、まさに、DIY的発想の提案をしたり。
そんな、自分もやれば出来る?出来るかも!
の情報が誌面に満ち溢れています。
上から目線で、フワフワした言葉だけの「ゆたかな暮らし」を提唱するのではなく、
人々とともに地べたを這って、
どうしたら、そう出来るのか?
どうしたら、実現出来るのか?
みんなで叶えるゆたかな暮らしに向かって
ひたむきにペンを走らせ、動き続けていく姿に
心を打たれ続ける、わたしでありました。
では、最後に、もう一つ。
なぜ、花森さんが、暮らしを豊かにすることを願っていたのか。
いま、発行されている数々の「暮らし系」雑誌からは想像もつかないほど
熱く迸る、切実なる願いと想いが込められています。
それは、二度と戦争を起こさないため、
『暮らし』を大切にする世の中にしたい。
そう、願っていたのです。
【ぼくらに、守るに足る幸せな暮らしがあれば、
戦争は二度と起こらないはずだ。】
花森さんご自身も戦場に赴き、戦争を体験しているからこそ、
普通の当たり前の生活が、どれだけ尊いものか。
身に沁みて実感されていたと思うのです。
一人ひとりが、一つひとつの家族が
どれだけ暮らしを愉しみ、心ゆたかに暮らしていくか。
その愉しくて大切なモノを守るためなら、
人は、きっと、それを壊す戦争なんて起こさない、と。
花森さんは、そう信じて、刊行を続けていました。
さて。
いまを生きるわたしたちは、どうでしょう?
ゆたか、と感じているでしょうか?
物が無い時代から、物で溢れ、物が充足する時代に生きるわたしたち。
物で、ゆたかさを測る時代は終わったと言うのであれば、
では、なにを物差しとして、測っているのでしょう?
これからを生きる子どもたちと一緒に。
考えながら、モノと向き合える作り手でありたいな。
あらためて、そう思える。貴重な展示に出会えました。
- 花森安治『暮らしの手帖』の絵と神戸 ―
神戸ゆかりの美術館にて 3月14日(日)まで開催
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