実りは大きい、といいますか、
得るものは大きい。と、日々、感じています。
先日、『暮らしの手帖』の花森さんの展示の記事を書いたのですが、
一緒に行ったのは7才の息子でした。
動きたい盛りの年齢なのですが、
なんやかんや母(額縁屋)の趣味に付き合ってくれます。
いろいろな場へ連れて行ってあげたい。
様々な体験をしてもらいたい。
親であれば大なり小なり、そんな気持ち、
あったり、なかったり。
もちろん、子ども自身が喜ぶ場も然りなのですが、
大人目線の場も、一緒に共有したいなあ、と思うわけで、
我が家の場合は、「なんでそこに行きたいのか(見たいのか)」
を自分の言葉で子どもに説明しています。
本に載っていたとか
テレビで見た誰かの推薦の言葉じゃなくて、わたしの言葉で。
今回の場合は、
「暮らしの手帖っていう雑誌を作ったおじさんのね、
描く絵がとってもステキだから。
それをみてみたいの」
そうか、お母さんは、そんなたんじゅんな理由で、
そこ(美術館)に行きたいのね。
それが、わかると案外すんなりついてきてくれます。
あと、館内では、なるべく子どもの歩くペースに合わせています。
なもんで、チョー早いときとかあって、もう涙涙。
「おかーさん、まだ見てるのに…」を何度も言うけど、息子聞いてない。
さらに、まわりの迷惑にならない程度に、
見た感想をその場で素直に伝えます。
お互いに、こう思う。こうだと思う。
と意見交換をしながら見ていると、当たり前だけど、
親子なのに、見方が違うことにお互いに気づき、面白かったりします。
解説は読まず気にせず、
気づきをポンポン言葉にする方が、子どももノッテきます。
つづいて、これは私の職種のせいかもしれないのですが、
とにかく、作品の限界まで近寄ります。
(学芸員さんの注意が出たときは素直にやめましょう)
←我が家はけっこうな頻度で注意される
そうすることで、遠方では見えない質感に、
触れる気持ちになれるんです。
「描いてる人は、この距離感だよ」「近くね?」みたいな。
額縁に関しても、限界まで寄って側面も含め観察します。
こういう、ちょっと特殊な見方は子どもも喜びます。
美術館、子どもと一緒に行きたいなあ…
と思うお父さん・お母さん、
騒いでしまうし、無理かなあと諦めてしまう前に、
一度、子どもの歩調で、彼らの目線までしゃがんで、みてもらえたら。
彼らが何に気づいて、何を見ているのか。
きっと、その発見に一緒に面白がることが出来ると思うんです。
あとは、最後のお愉しみミュージアムショップです。
わたしは、ミュージアムショップが大好きで(息子も)
鑑賞後、なにか物足りないなという部分を、ここで補います。
子どもと一緒の場合は、ここで補おう、と最初から考えているので、
館内で歩くペースも、息子に合わせることが出来て、
お互いにストレスなく周れます。
館内の展示で、もっとじっくり観たかったな、知りたかったな、
というものの情報となる書籍や、
何度も眺めたい作品のポストカードを選んだりする時間は、
館内の鑑賞をあらためて思い返せる大切な時間です。
また、ポストカードは、必ず、息子も「選ぶ、買って!」になるので、
お互いに枚数を決めて選びます。
息子セレクトは、ハッとする美しさを秘めたものや
この観点で選んでいるんだ!という新鮮な驚きがあるので、
こちらが、ワクワクします。
「しんぷるで きれいだから」
選んだ理由を訊いたら、そんなこたえが返ってきて、
素敵だなあって思いました。
気負わず、自分の出来ること・得意なことを、
教えるっていうほどでなく、
共有する感覚で、なんでもいい。
お互いに、なにか得られたら良いのかな?と、思っています。
次は、どこの美術館へ、なにを観に行こうかな?
考える時間も、また愉しいのです。